大山の魅力

 

大山の位置

大山の位置
 
大山(標高1252メートル)は、神奈川県のほぼ中央部にある伊勢原市のシンボルであり、豊かな自然に恵まれた丹沢大山国定公園の一角に位置しています。 
 
古くから山岳信仰の対象とされ、江戸時代には、大山に登ってお参りする「大山詣り」が庶民の間で盛んに行われました。
 
都市圏からのアクセスが良く、気軽に訪れることができる山歩きスポットとしても知られています。
 

各地区の魅力

各地区の魅力
   
【大山地区】
 
丹沢大山国定公園に指定されている豊かな自然環境と多彩な歴史・文化を有しており、また、国の重要文化財に指定されている不動明王や二童子像を所蔵する大山寺、県の重要無形文化財に指定されている巫女舞や倭舞、約300年の伝統を誇る火祭薪能が行われる大山阿夫利神社、さらに大山周辺のハイキングコースには、県内外からの多くのハイカーが訪れ、山内には宿泊施設や飲食店が立ち並ぶ門前町が形成され、多くの観光客で賑わいます。
 
 
ハイキングコースの風景
 
山頂からの風景
   
【日向地区】
 
関東地方有数の古刹であり、また、日本三薬師の一つである日向薬師は、その歴史・文化的資源や豊かな自然環境から大山とともに「かながわ景勝50選」に選ばれています。
宝城坊本堂には9件の国の重要文化財が所蔵され、毎年行われる「本尊開扉」、「初薬師本尊開扉」、「春季大祭」、12年に一度行われる「寅年本尊開扉法要」などの伝統行事は、県内外から多くの参拝者が訪れる。
現在、約350年ぶりの「平成の大改修」が実施されており、平成28年度の完成を目指しています。また、周辺は、彼岸花の名所として「かながわの花の名勝100選」に選定され、秋の季節には多くの観光客で賑わいます。
 
 
日向薬師
 
日向路の彼岸花
   
【蓑毛地区】
 
秦野は、伊勢原と並んで大山の麓に栄えた町で、蓑毛は大山への入口にあたっています。
蓑毛は江戸時代から明治時代にかけ秦野の発展の重要な一翼を担い、庶民の大山信仰集団、すなわち大山講を導く「御師の郷」として、静岡、山梨方面から多くの大山信徒を招いてきました。蓑毛の大日堂は、奈良県の東大寺大仏造営に尽力した行基(ぎょうき)によって、742年(天平14年)に開かれたと伝えられており、本堂には、平安時代後期の作でヒノキの一本造り、像高175センチメートルの座像、「大日如来像」があり、県の重要文化財に指定されています。
この像の両脇には、四体の如来像もあるため、別称で「五智如来(ごちにょらい)」とも呼ばれており、特に、完全な構成をもった五智如来像は東国では珍しいもので、この地で平安の 密教文化が花開いたことを物語っています。このように蓑毛地区は、大山の観光を魅力づける重要な地区となっています。
 
 
 
大日堂
 
緑水庵の紅葉
   
【ヤビツ峠】
 
丹沢山地内で唯一の南北をつなぐ一般車両通行可能な峠であり、また、東京から最も近くにある峠の1つであるため、自転車ヒルクライムのメッカとしても人気が高い峠です。
かつて甲斐国の武田氏と小田原の後北条氏がこの地で争いを繰り広げ、そのときに用いられた「矢櫃」(やびつ、矢を入れる箱)が峠道の改修の際に大量に発見されたことから、「ヤビツ峠」の名で呼ばれるようになりました。。
周辺には豊かな自然環境が広がり、多くの登山客、ハイカーで賑わいます。
 
 
ヤビツ峠の風景
   
【七沢地区】
 
七沢は、棚田の景観や地元の食材を生かした伝統料理など、大山山麓の原風景と里山の文化が残されています。良質の強アルカリ性源泉に恵まれた温泉郷が点在し、周辺は癒し効果の認められた森林セラピー基地にもなっています。
東丹沢の登山拠点の一つでもあり、七沢から唐沢峠、大山山頂へと続く尾根沿いのトレッキングルートは、関東平野や相模湾の大パノラマを一望。
家族連れでにぎわう七沢森林公園など、初心者向けのハイキングコースも多くあります。
 
 
七沢温泉
 
道中からの風景
 

大山と富士山と江ノ島について

大山と富士山と江ノ島について
 
【大山の歴史と大山参詣】
 
相模平野の西にそびえ立つ大山は、神仏の宿る霊山として、古くから厚い信仰を集めてきました。特に江戸時代中期には、大山御師(明治時代以降は先導師という)の活動による大山講の組織化が進展し、相模武蔵国内はもとより、駿遠豆・甲信越・房総方面の人々が、雨乞い・五穀豊穣・家内安全・商売繁盛などの現世利益を求めて「大山参り」を盛んに行いました。このため、各地から大山へ至る道には大山参詣人(道(どう)者(じや))の姿がみられ、主要な道は「大山道」とか「大山街道」と呼ばれるようになりました。山麓一帯には講中を迎えるために御師が経営する宿坊やみやげ物屋が軒を連ね、門前町が形成されました。
「大山参り」は「伊勢参り」とは異なり、旅程も極めて短いうえに、参詣後の「坂迎え」という帰国者の出迎え行事などがない気軽さ、気安さも手伝って、関東一円の民衆に受容されて隆盛したと思われます。特に夏山と呼ばれる時期(旧暦6月27日~7月17日)には集中して多くの人々が訪れました。大山信仰の全盛期にあたる宝暦年間(1751~64年)には、参詣者は一年間で数十万人にも達したといわれています。
 
 
 
【伊勢原のシンボル「大山」と世界遺産「富士山」の関係】
 
江戸時代の浮世絵をみると、大山と富士山がセットで描かれているものが多くあります。
富士山も大山と同じように古くから人々の信仰の対象となり、富士講による富士参りも盛んに行われていました。大山道にある道標には富士方面を標示するものもあり、富士山をお参りした人は、「片参り」ではいけないといって大山にもお参りしました。これは、大山阿夫利神社の祭神「大山祇大神(おおやまつみのおおかみ)」の息女が富士山本宮浅間大社の祭神「木花之佐久夜毘売命(このはなさくやひめのみこと)」とされ、父子関係にあることから両参りの信仰があったようですが、この背景には当時の信仰の拡大を図るための御師による精力的な布教活動があったようです。御師とは、寺社の定員外の宗教家のことで、大山では例祭以外の8月~翌年5月は、寺社の教宣係的存在として、各地の講を丁寧に回って檀家の確保に努めたとされています。こうしたことから、「両参り」は大山御師及び富士山関係御師による「片参り忌避」の伝承を宣伝活動したことにより生み出された「パッケージ化された参詣」と考えられます。
以上のことから古くから大山と富士山はとても縁が深く、参詣の道筋として多くの人々が行き来していました。
また、両参りは富士山だけでなく、大山参詣を済ませた庶民の中には、南に進路をとって裸弁才天で有名な江ノ島に脚を延ばし、商売繁盛、病気平癒などを祈る者も多かったとされ、大山は男の神様ということで、女性の神も拝まないと「片参り」といってよくないものとされていました。やはり浮世絵に大山講中が江ノ島へ向かう場面が多く描かれており、大山の帰りは江ノ島や鎌倉へも立ち寄ったことは、伊勢原市内の道標に彫られた地名からもうかがえます。大山と江ノ島は当時の江戸庶民の物見遊山の二大拠点であったといわれています。
富士山は今年、世界遺産に認定され、多くの登山者が訪れていますが、富士山を登られた方は伊勢原のシンボル、大山にも是非訪れてみてはいかがでしょうか。
 
 
 
五雲亭貞秀「相模国大隅郡大山寺雨降神社真景」 安政5(1858)年
大山の入口から山頂石尊宮までの大山寺境内地のみならず、富士山・高尾山・江ノ島・伊豆半島まで描いています。大山を中心に据え、大山から見えるところまでを画面に入れています。
   
〔富士方面を示した道標〕
大山山内最高地点に残る道標で高さが3.68メートルもあります。
「從是右富士浅間道(これよりみぎふじせんげんみち)」「東口州走江十四里(ひがしぐちすばしりへじゅうより」「小田原最乗寺江七里十町(おだわらさいじょうじへしちりじゅっちょう」と彫られています。
   
国貞「東海道五十三次之内 藤沢図」
左の藤沢図には美人が大きく描かれています。何気なく大山講中を見ているようにも思えます。木太刀や御神酒枠を担いだ大山講中の一行が江ノ島へ向かい、鳥居をくぐろうとしています。江ノ島の弁天様への参詣です。
   
二代豊国「名勝八景大山夜雨 従前不動頂上図」
二代豊国の傑作です。雨降山とも呼ばれる大山。大山の夜雨をついて前不動(追分にあった前不動ではなく、大山寺不動堂を山頂・石尊社に対して前不動としたようです)から木戸を通り山頂へ向かう参詣者。木太刀を担ぐ男、遠くに富士山がかすんで見えます。 
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